偉人のイメージを覆す その2
2,宮沢賢治 『塔建つるもの・宮沢賢治の信仰』
宮沢賢治は異次元の作家と言われるほど崇拝されて熱狂的な賛辞が贈られている。しかし逆に、その反発から辛辣な批判にもさらされて来た。初期には賢治は権力に妥協した、権力悪を指弾する視点が欠けていると批判された。近年には、趣味に生きて裕福な親の財産を食いつぶしたニートだと非難されている。しかし、賢治は宗教者である。それを加味しないと批判は的外れになることが多い。特に後年国柱会を見限って法華信仰を否定した、などという論評は、賢治の宗教を無視したものが多い。従来の文学研究者は宗教を蔑視して研究する価値を認めなかった。そうした者は宗教者賢治の心情を推し量ることが不可能なゆえに、狭い見方で断じている。それらは、法華経も島地大等も国柱会も、父親の浄土真宗や彼が師事した暁烏敏など、重要な賢治の宗教について調べないまま論を組み立てているものばかりである。最近は優れた研究がいくつも出てきているが、調べても専門書を数冊読んだだけで済ませて、仏教の基本さえ理解していないものが大多数なのも事実である。この稿は、そうした浅薄な論を宗教者賢治の視点から覆していこうとするものである。
哲山堂