哲山堂は、理崎啓の偉人発掘シリーズを出版するためだけに立ち上げた店です。ですから、当店は個人営業で、社長兼執筆者兼営業部員兼宣伝部員と一人でやっています。

最初に本を自費出版した時にお願いした出版社はあまり親切ではありませんでしたので二冊目は違う出版社にお願いしました。そこは大変に丁寧で親切な対応でしたので、三冊目を書き上げた時には躊躇せずに依頼しましたが、「先日、倒産しました」とのご返事で、困ってしまいました。「では、同じように信頼できる出版社を紹介してください」とお願いしたところ、「あなたは何冊も出すようですから、自分で会社を立ち上げて、直接印刷会社と取引して出版すれば」と勧められました。それで様々なアドバイスをいただいて、店を立ち上げて、シリーズを刊行してきたものです。

理崎啓以外では、近所に大変に尊敬している歯科医の先生がいらっしゃって、諸外国での大冒険を自費出版されていましたが、その続編を哲山堂で出そうとの話が持ち上がりました。しかし、途中でお亡くなりになって、話は立ち消えになりました。

先日は、原稿を持ち込むので、出版を検討してほしい旨の依頼がありましたが、お断りして「ご自身で会社を立ち上げるのでしたらアドバイスします」と返答いたしました。

   理崎啓プロフィール

1949年 埼玉県新座市にうまれる。

1975年 早稲田大学教育学部国語国文科卒業。

同 年  埼玉県立高校国語科教諭となる。

2009年 定年退職

   偉人発掘シリーズについて

 偉人発掘、ということでは、「良い仕事をしていますね」「貴重です」などと激励のお手紙をいただくことがしばしばありました。「発掘」の意味は、ほとんど知られていない偉人の紹介、間違った説の批判、定説と違う見方を提示する、などです。

最初に書いた本は石川啄木でした。生徒の修学旅行のパンフレットとして生涯のエピソードをまとめた時は何冊も伝記を集めて読んでいきました。どの伝記も大変暗い、読んでいて嫌になるほどでした。啄木はその貧乏生活が有名で、家には蚊帳がなくて刺されるまま、小学校の教員だった時は昼食も持参できなかった、北海道で借りた家は畳も襖もなかった、などと恐ろしいほどの貧乏生活が続いていたのです。

もっと明るい啄木が、希望に生きる人としての啄木が書けるはずだ、と挑戦したのが「啄木評伝」でした。以来、私たちに生きる勇気を与えてくれる偉人伝、として書き続けてきました。現在も、偉人伝とは、私たちが励まされる、希望を抱くようなものであるべき、と思っています。