新視点の伝記とは?

最初に取り組んだのは啄木の伝記で、まずできる限りの啄木伝を集めて読んだ。啄木は当時青年に熱狂的に迎えられていた文豪・高山樗牛を読んで文学の道を志した、と書かれていたが、どういうところに感動したのか、ということはどの本も書いてなかった。何冊も調べてようやくそれを見つけた時はうれしかったが、その本も樗牛がどんな人物かまではあまり説明していなかった。クロポトキンも同様であった。啄木は、友人の歌人土岐善麿からクロポトキンの本を借りて読んで感動した、と多くの伝記が書いている。しかし、クロポトキンのどういうところに感動したのかはどの本も書いていなかった。

そこで、樗牛やクロポトキンを詳しく調べて書こう、それを自分の伝記の特徴にしようと考えた。しかし、それらの人々は現代では忘れられた人物で、新刊本はほとんどない。多くの伝記作者が一切触れなかった理由がわかった。そこで、古書で探すことになったが、昔から神田などの古本屋巡りが趣味だったこともあって楽しみながら本を集めることができた。納得できるまで十分調べ尽くしたので、それらも一冊の伝記にしようと、後年、樗牛、クロポトキンも発刊することとしたのである。周辺の人物についても同様である。偉人の周辺で活躍する魅力的な人物は多いが、それらもほとんど語られていない。歴史的背景ももっと書かれていれば、と思うことが幾度もあった。そこで、周辺の人物と歴史的背景を十分に解説する伝記を書くことにした。ただ、放哉評伝を書いた時、研究者の方から周辺の人物についてこんなに詳しく書くのは本筋から外れたものだ、この評伝は余計なことを書きすぎていると論評され、そういう考えもあるのかと気づかされ、以後「評伝」というタイトルを止めた。ゆえに周辺の人物や歴史的背景の解説も必要ない、シンプルに偉人の人生だけを読みたいという方々にはこのシリーズはお勧めしないものである。

また、啄木伝は多くが貧乏生活や病気を詳細に描いていて、読んでいて陰鬱な気持ちになった。しかし、啄木の短歌や諸作品を見ると、彼の心象風景はもっと明るいものだったのでは、と思えた。だったら、もっと明るく書くことができる、私の偉人伝ではそれを書いていこう。特に、厳しい現実を乗り越えていった偉大な行動を宣揚していこう、と考えたのである。

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